最初の夢が最後の夢になりますように

この記事は前回の日記(「私にはさっぱり分からないのです」)とは正反対な方向性の内容になってます。

私は偏屈だったり得意不得意が激しかったり、偏頭痛やその他就労に支障をきたす病気を持っていたり、そんなだったから一流の学歴で欠点を補おうと、大学受験に入るまではそう考えてた。学歴があれば多少の欠点があっても使ってもらえると思ってた。今にしたら馬鹿馬鹿しいことこの上ないけどね。

でも、高校受験までは全くもって勉強をサボっていても自然と合格したせいで怠慢を身につけてしまい、大学受験に必要な学力を身につけないまま受験をむかえてしまった。そしてもう人生は終わったと思った。これも今考えると視野が狭いことこの上ない。

そんなこんなで、精神科に通うようになったわけです。完全に塞ぎ込んでた私だったけど、恩師と言える先生や、親のサポートで視野が広がったので一気に病気が良くなった(これが最初の躁転だと思われる)。そして、私は何ができるのだろうと新しい生き方を考えた時に、難しいと嫌厭されがちな例えばコンピュータの操作、プログラミング、各種Webサービスの利用、これらを簡単に分かりやすく万人が使えるように、役に立ちたいと思った。これが夢だし目標になってる。

でもせっかく立てた目標を忘れてしまって迷子になって、死にたい、人生に意味は無い、疲れた、面倒くさい、自分は馬鹿だ駄目だ、何も考えずノウノウと生きてる、なんて考えてしまう。そんな時に誰かと会話して、その中で思い出させてくれることが何回もあった。自分一人で考えていると行き詰まってしまう。でも、人と話すと思いもしない切り口で頭の中に眠っていた考えが掘り起こされることがある。

雑談なんて無意味だと思っていた時期もあったけど、自分一人で考えられる事なんてたかが知れてる。人と喋らなくちゃ。

ちょっと脱線したかな。今回のタイトルは、私がいま持っている夢が人の役に立てて、自分が満足できて、死ぬその時までずっと続けられる様な正しい事だといいな、そう思ってつけました。

稚拙な文章ですが読んでくださってるみんなに感謝しています。よかったらどんなコメントでも嬉しいので何か書いてもらえると幸いです。新しい考え方とかのきっかけになります。 でわでわ。



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なんだこのポジティブで楽天的な文章は…( ´_ゝ`)
夢を持つのはいいけど働いて食い扶持稼げるようにならないと駄目でしょ。人間いくらでも大きいことは言えるんです。でも小さいことをコツコツするのが大切でしかしそれは難しいのです。基本ができないのに応用ができるわけがない。できないというのは技術的な面もあるし、生活がなりたたないという意味もある。そこを忘れて夢だけ語って「はい頑張りましょう」なんてよく言えるわ。働け働け働け働け。