考えることを毒にしないために。

僕は小さいころから今に至るまで色んな人から考えすぎだと言われてきました。確かに人からすれば考えなくても良いようなことを考えてしまいがちなんだと思います。でも僕にとってはそれが必要なことだからこそ考えてしまうのです。考えることは毒にも薬にもなります。でも、本当は必要の無いことなのかもしれません。だって、考え出すとそれこそ切りが無いからです。

例えば未来のことを考えたところで、区切りを付けないと無限とまではいかなくてもどんな可能性も想定できてしまうわけです。なので、時にはエイヤと踏ん切ってしまわないと、いつまでも同じところでぐるぐるしてしまうのでは無いでしょうか。だから、僕は考えて出す結論は三つまでにしておいて、三つ考えたらそれを信じて、というより無理矢理にでも信じこませて言い聞かせて、動いてしまおうと決めています。動いてみないと結果は出ないし、結果が出ないと新しく考えることもできないからです。

上で述べたのはあくまでも僕のやり方なので、動かなくても次々と考えを進めていける人もいるでしょう。例えば学問をする人は理論をどんどん発展させられるのかなって思います。それでも社会科学ではフィールドワークが重んじられたりしているようですが。

それでも、日常生活を送って行くには考え続けるよりも、区切りを決めておいて動いちゃうのがいいかなって思います。これは結局、考えることを止めているように見られるかもしれませんが、僕はちょっと違うと思っていて、考えを進めていくために必要なことだと思っています。

人生に意味はあるのかだとか、人と関わるより独りの方が上手くやれるんじゃないかとか、働いて幸せになれるのかとか、そもそも幸せってなんなのかとか、ずっと考えるよりはある程度の過程ができたところで試してみるのがいいのかなって思いました。そうすると僕の中では、人生に意味なんて無いけど作ろうと思えば作れる、人と関わると集中力は散ってしまうけど学ぶことも多いので使い分けよう、働くと苦しいことつらいことも多いけど達成感や充実感がある、幸せってよくわかんないけど感じることはできた、という風な当たり前ですが、言葉や頭で理解するより実感してみた方が分かりやすいと思えました。

考えることは無限になってしまうけれど、もしもそれが苦しいことならばまずは臆せず試してみてはどうでしょう。失敗に慣れることも大事だと思います。月並みですが、人生で遅すぎることはあるにはあるけど、遅いからといって何もしなければ何も起こらないので、考えたことをちゃんと結論に至らせられるように、そのために何ができるのかもまた、考えることが大切だと考えています。

それでは、毒にも薬にも役にも立つか分からない雑感でした。読んでくださってありがとうございました。